この記事は Agent Grow Advent Calendar 2025 の記事です。
今回やること
こんにちは。明日を生きるエネルギーです。
私はといえば、最近といえばもっぱら宇宙と未来のことばかり考えています。(比率1:9)
年末お忙しい毎日のなか大変恐縮ですが、皆さんは「視座」というものをご存じでしょうか?
シャボンランチャーの人ではなく、ピラミッドのてっぺんから飛び掛かってくる人でもなく「シザ」です。以下、AIによる概要になります。
視座(しざ)とは、物事を見る際の「立場」や「立ち位置」「心理的な高さ」を指し、単なる物理的な位置ではなく、問題や状況を把握する際の心理的・知的な角度や深さを表します。視座が高いとは、自分の現在の位置だけでなく、より上位の立場(例:担当者→管理者→経営層)や広い範囲(全体像)から物事を捉え、背景や意図、全体への影響まで考慮できる状態を意味し、ビジネスにおける意思決定や問題解決に重要視されます。
私自身AGでリーダーなどをやらせていただいていますが、その中で最近流行っている言葉が「視座」になります。流行りに乗り遅れるのはギャル1としてはご法度のため、今回は私なりに「視座」というものと向き合ってみたいとおもふ。
(これから記載する記事はあくまでも個人的見解です。実在の森羅万象とは一切関係がないかと思います。真実はお近くの偉い人に聞いてみてください)
視座を考える
では、視座について考えてみよう。
なお、これ以降は文末表現を常体とさせていただく。
なぜならばそのほうが少し賢い気がするからである。
まず、視座についてのAI概要を見て感じたことを1つ。
「単なる物理的な位置ではなく、問題や状況を把握する際の心理的・知的な角度や深さを表します」
心理的・知的な尺度であるという衝撃。視座について説明される場合、大体が人間の身長や、吊るワイヤーや、ビルや、メガ神殿や飛行機の高さの図解みたいなもので説明されるため、物理的なイメージで想像してしまうが、どうやらそうではないらしい。あくまでイメージなのである。
では心理的・知的な角度や深さとはなんであらうか。
知識は深めるものであり、心は育むものである。
視座の高さとの関連性がわからず、私はいったん考えるのをやめた。
シミュレイション
いったんは考えるのをやめた私だが、わからないまま終わる。そんなのはイヤだというわけで、相談することにした。
Thom(トム)氏2:あの頃は必死で、自分のことしか見えていなかったんだと思う。思えばいろんなことに懐疑的だった
ーなるほど
Thom(トム)氏:破滅的な終わりが近づいている予感は常にあった。情勢もそんなに良くなかったし
ーそれで?
Thom(トム)氏:いつも”クソッタレ!”って思ってたね。でも”それじゃあダメなんだ”と、ある日のランチ中にふと気づいたんだ
Thom(トム)氏:結局、離れてみれば何でもないことだった。今は自分の周りも含めて前より良く見えている気がする。今はオバケも信じているし(笑)
ーありがとうございました
Thom(トム)氏のインタビューを経て、私は1つの結論にたどり着いた。
「視座」とは高い立場から広い範囲を捉えることに他ならないが、あくまでも自分の中での話なのではないかということだ。
シミュレイションなのである。
皆さんはウイニングイレブンやスーパーロボット大戦などのTVゲームをご存じだろうか?つまりはソレである。
いめいじ3
おそらくではあるが「視座」が何かを理解するうえで大事なのは「いめいじ」と「シミュレイション」である。
業務はチームで行うことが多いかと思うので、そのチームを例に「いめいじ」してみよう。
まず、自分の業務のみを考えるパターンである。
この場合、考えるべきは当然ながら自分の業務のみである。与えられたスケジュール内で自分のタスクをこなし、遅延があれば稼働を上げてタスクを完遂する。これだけである。
ここに「視座」の観点を加えて「いめいじ」してみよう。
チームには自分以外のメンバーが存在する。自分と同じようにそれぞれのタスクを与えられ業務をこなしている。スケジュールが進んでいるメンバーもいれば遅れているメンバーもいるだろう。自分はどうだろうか?遅れているメンバーの遅れはどの程度だろうか?進んでいるメンバーによる埋め合わせなどは可能だろうか?考えているうちに気づくかもしれない。おそらくはこれがチームのリーダーが見ている景色なのだ。
もっと高度を上げてみよう。このプロジェクトにはほかにもチームがいるようだ。それぞれのチームで別のシステムを作成しているが、関連性はあるようだ。1つのチームの遅れは他のシステムにも影響を及ぼすかもしれない。気づいたならば早めに手を打ったほうがよさそうだ。などの想像ができる。
「いめいじ」と「シミュレイション」を行うことで、本来自分がいる立場より高い位置で自分のいる場所を観ることができる。これが「視座」というものの本質なのかもしれない。
日常生活の視座
ここまで、いろいろと難しい感じで視座について考えてみたが実は日常生活でも視座っぽいことをやっていることがある。
それは、家族や友人のことを考えているとき、誕生日プレゼントを考えているときや子供の進路を考えているときなどである。
共通することは自分をいったん外している部分である。自分の事をいったん置いておいて他人のことを考えるとき、それはもう視座っているのかもしれない。
まとめ
今回は「視座」という小難しいものついて自分なりに考えてみました。
考えるにあたり大仏やハヤブサが頭の中をちらつきましたが、僕の中の高い視野のいめいじはおそらくそれらなのでしょう。
普段生きていると当然ながら視界にあるのは自分に見えるものだけですが、自分をいったん外に置くことで視えるものもあるのかしれません。
おまけ
ー⊂丶)ぁぇず〒″]っナニょ
